ダブリンのゲイバーに誤潜入

 ダブリンは小さな街なので、観光するにはとてもいい場所だが、長期滞在者にとっては少々退屈な街である。いくつかの観光名所にすでに行ってしまった日本からの留学生たちは、楽しみを観光地以外の場所に見いだす。地元の人が利用するレストランやバー、映画館や書店などは観光地とはまた違うローカルな雰囲気があり、留学生から「ダブリンに住む外国人」になることができる。しかし、ローカルな場所は見つけにくく、たまたま通りかかった店に勇気を出して入ってみるか、地元の学生と友達になって教えてもらうなどしなければならない。私たち外国人にフレンドリーな店もあれば、そうでない店や、そもそも外国人が入るような場所ではない酒場などもあり、ハズレを引いてしまえば、少々厳しい時間を過ごすことになる。

 私は日本人留学生の仲間数人とアイルランドの伝統的なダンスショーを見に行き、感想を述べ合いながら、各国からの観光客て賑わう午後の中心街を歩いていた。道は歩行者天国の様になっており、いたるところでストリートミュージシャンが歌い、その周りには人だかりができている。築100年は優に超えているレンガ造りや石造りの建物と、ガラス張りの近代的な建物が軒を連ね、ZARAアディダスなどの多国籍企業と小さな土産屋や飲食店が混在し、色々な言語が飛び交う喧騒の中で不思議な調和を保っている。

 時刻はもう少しで4時というところだった。緯度が高いアイルランドの夏は日が長い。日は徐々に西に傾き始めたが、暗くなるまであと4時間はある。寮に帰っても特にやることもないし、せっかく街の中心部まで出てきたのだから、どこか寄って帰ろうということになった。

 だが、そのどこかが中々決まらない。有名な建物や博物館にはもう行ってしまったし、名物の食べ物もすでに食べてしまっていた。バーでビールを飲むのも気が進まなかった。アイルランドのギネスビールを毎日のように飲んでいたので、あの苦くて黒い飲み物にはうんざりしていたからである。

 「あ、俺クラブ知ってるよ!この前イタリア人の友達に教えてもらって一緒に行ったんだよ。そんなに大きくなくて外国人でも入りやすいから。確かここから歩いてすぐの場所にあったな。」

 「いいね、楽しそう!まだお腹空いてないし、そこ行ってみようよ!」

 

 

 そして我々一行は、そのクラブに行くことにしたのである。私は日本のクラブにさえ行ったことがなかったので、始めてのクラブが外国のクラブということに少し飛び級感を禁じ得なかったが、おそらくほとんど留学生が行っていないであろうクラブに足を踏み入れることに軽い興奮を覚えていた。

 「ここ!」

 大通りから少し離れた、観光客があまり立ち入らなそうな路地の一角にそのクラブはあった。レンガ造りの建物の交差点に面した角に2、3段の階段があり、その上で重厚感のある背の高い扉が開け放たれていた。扉の上には店名が掲げられ、その横でアイルランド国旗がひらめいていた。

 「本当にクラブなの?普通のバーっぽくない?」

 「大丈夫。ちゃんとDJブースもあるし、今は時間が早いから空いてるけど、もう少し経てば足の踏み場がないぐらい人が来るから。」

 クラブに行ったことがないだけでなく、見たこともない私は、そういうものなのかと思い、彼の話を信じてみることにした。

 店に入ると、人は少ないものの、大きめの音量でアップテンポな音楽が流れ、奥行きのある店内の手前にバーカウンターがあり、カウンターの奥が広くなっていて、入り口から一番遠い壁のセンターに一段高くなったDJブースがあった。まだDJブースにDJはいなかった。

「アパイントオブハイネケン、プリーズ!(ハイネケンを1杯ください)」

 BGMにかき消されないように私は店員に叫ぶようにビールを注文し、近くの空いている背の高い丸テーブルを見つけ、腰ほどの高さのある椅子に腰かけた。

「いつになったらクラブになるの?」

 BGMが大きいので自然と声が大きくなる。

「わかんないけど、この前来たときはクラブだったんだよ、DJもいたし。」

 

 私が店内の違和感に気づいたのは、ビールを半分程飲み干した時だった。壁沿いの二人席でビールを飲んで会話している男性二人の顔と顔の距離が異常に近かったのである。BGMの音量が大きくて声が聞き取りにくいということもあるが、あと3センチで鼻と鼻が触れそうな距離である。反対側のソファ席では男性二人が肩を組んで互いに寄りかかるようにして座っている。

 「そこにいる男二人、カップルなのかな。あと反対側のあの人たちも。」

 私は思わず話を遮って隣にいた友人に話しかけた。

 「あ、それ私も気づいてた。後で話そうと思ってあえて言わなかったけど。あと、あそこに座ってる小柄な男の人、めちゃくちゃバッチリ化粧してて綺麗。」

 違和感が私だけでなく友人も気づいていることに安心し、もう少しそのことについて話したい気持ちを抑えつつ、私たちはもとの話題に戻った。しかし、それから私たち以外の客のほとんどがゲイやトランスジェンダーの人々であることに気づくまでそう時間はかからなかった。

 世界には色々な人がいるけど、自分と違うから、普通と違うからと言って、突き離してはいけない。かといってLGBTの人を特別扱いする必要もない。いつも人と接するように接すればいいのである。でもこんなにたくさんのゲイに囲まれたことはない。忘れられない強烈な夜だった。一杯もしくは二杯のビールを飲み終わった私たちはグラスをカウンターに戻し店を後にした。店員が白のタンクトップにサスペンダー、そしてマッチョという古典的なゲイのステレオタイプのような格好していることにその時はじめて気づいた。

 店の外はまだほんのり明るく、人通りも落ち着き、店内の喧騒に比べると酔いから急に醒めたような静かだった。どう感想を述べたらよいか分からず、店を出てからしばらく無言の時間が続いた。少し遅れて店から出てきた友人が少し小走りで私たちに追いつき沈黙を破った。

「さっき店にいたアイルランド人のお客さんと少し話したんだけど、この店、クラブなのは週末だけで、平日はLGBTのコミュニティのバーなんだって。」

 アイルランドは世界で初めて国民投票により同性婚憲法で認められた誇り高きLGBTの国である。街中でも手をつないで歩く同性カップルや、女性物の服をまとった髭面の人が普通に歩いている。最近初めてLGBT関連の法律ができた日本と比べて、セクシャルマイノリティに関してかなり進んでいる国なのである。

「なんか、良い経験だったね。」

 皆が何も言わずにうなずいた。強烈な経験がまだ整理できていない私たちには、とりあえずその感想がぴったりだった。ビールの酔いが回っていることもあり、不思議な夢から醒めたばかりのような頭で歩きながら、もう一度振り返って店構えを見た。背の高い入り口の扉の上のアイルランド国旗の横で、レインボーの旗が堂々と夜風に揺れていた。

 

 

 

 

語彙力至上主義者の単語暗記法

なぜ語彙が大事なのか 

「とにかく語彙!」

 私は英語の上達方法を聞かれたときは毎回そう答える。リスニング、リーディング、ライティング、スピーキングの外国語習得の4技能すべて最短で向上させるのは、できるだけ多くの語彙を知るということであると私は考える。英語を上達させたいと思っている人は、まずは一冊の単語帳を最後のページまで暗記することが必要であると私は助言する。単語を暗記するという勉強は、机の上でもバスや電車の中、ベッドの上でもできることなので、環境に左右されない。

 外国語習得の最終的な目標は、その言語で仕事をしたり、ネイティブスピーカーとコミュニケーションを取ったりすることである。しかし、その段階に到達するまでにはその言語を使わなければならない環境でたくさん練習するフェーズが必要である。環境を変えるとなると、海外留学や英会話教室に行かなければならず、お金も時間もかかるし、何よりまとまった時間が取れる機会がないといけない。いつかそのような環境を変えるチャンスが到来したときに、できるだけ多くのことを身に着けられるような準備となるのが「語彙をたくさん知っておく」ということである。私はこの考え方を、語彙至上主義と勝手に呼んでいる。

 私がどのように英語ができるようになったのか、英語を頑張ろうと思った大学時代から現在までに何をやったかを簡単に述べようと思う。私は大学3年生の一年間でTOEICの点数を360点上げることができたので、360点ぐらい上がればいいと思う人は参考にしてほしい。300点ぐらい点数を上げた学生は、大学内の英語関係のパンフレットに写真とインタビューが掲載されるのが通例だが、私は顔写真を掲載するには器量が良くないせいかパンフレットの話は来なかった。

 またこれから述べる勉強で参考にしたのは、いつも赤いTシャツを着ていた予備校時代の英語講師と、「外国語上達法(千野栄一,岩波新書,1986年)」という本である。英語勉強法の本は書店にあふれているが、この本が一番いいので単語帳と合わせて買って読んでみてほしい。普通におもしろいし。あ、岩波の黄色の329番です。(新書マニアはこの情報で一瞬で見つけられるはず)

語彙力至上主義者的単語暗記法

 一日に何個単語を覚えればいいかという問題はあるが、私は週100個を目標にしていた。一見大量の単語に見えるが、1週間に100個覚えようとしても10~20単語は覚えられなくて、週80~90語ぐらいが頭に入って、一日あたり十数個という計算になるのでそうでもない。なぜ一日あたりではなく、1週あたりの数で目標を立てるかというと、1週間かけて覚えたほうが長期記憶になりやすいからである。1日十数個ではなく、毎日100個を5~6日繰り返すという方法である。私はこの方法で大学入学後に約2000個の語彙を脳内リストに追加した。

1日目

 まずは単語帳の中の知らない単語を100個、英語と日本語の順でノートに縦に書きだす。多義語は無視して、基本的には一つの単語に対して一つの日本語という一語一義で書きだす。一つ最も頻繁に使われる意味を知っていれば、今後他の意味を知ったときに記憶に残りやすくなるのと、とにかく知っている語彙を増やすということが目的であるからである。

frank 率直な

command 命令する

coach 大型バス

みたいな感じて100個書きだす。その際に、発音が分かりにくい単語には自分でわかるようにアクセントのマークを付けたり、カタカナで発音を書いたりする。なぜなら100個書きだした時点で単語帳はもうほとんど使わないからである。これで100個暗記する準備は整った。あとは頭に詰め込むだけである。100個書きだすだけで40分ぐらいかかるので1日目はこれで終わり。単語帳の情報は少ないので、辞書を使ってたりすると1時間ぐらいかかってしまう。暗記は繰り返しが大事なのでそんなに時間をかけてられない。真の国際人が勉強することは他にも山ほどあるし。

2日目

100個の単語リストの2行目に一つ単語を書く。そのあと、一つの単語に30秒ぐらいかけてブツブツ念仏を唱える。

frank 率直な frank (frankソッチョクナfrankソッチョクナfrankソッチョクナ・・・)

command 命令するcommand (commandメイレイスルcommandメイレイスル・・・)

coach 大型バス coach (coach オオガタバスcoachオオガタバス・・・)

ここで大事なのは念仏の際に、綴りを頭の中で確認することである。頭の中でペンを持って30秒間書いた単語をなぞり続けるイメージで。30秒を100単語で計算上は3000秒かかる。3000秒は60で割ると500なので500分...いや、50なので50分で終わる。

覚えるのは英語→日本語の方向だけでよい。英単語を見たときにすぐに日本語の意味が分かりさえすればいい。スピーキングやライティングでcoachと使う機会は今後の人生であまりないからである。busと言えば事足りる。

3日目

やることは2日目と同じだが、1つの単語にかける時間を20秒ぐらいに短縮する。昨日書いた単語の横にもう一つ単語を書く。そして念仏。まだ記憶に定着しない単語が多いので本当に近い将来に暗記できるのかという不安に襲われるが大丈夫、人間の脳みそを信じて念仏を続けよう。明後日にはいい感じに熟成しているはず。僕たちはすでに数万の日本語単語を暗記してしまっているのだから。

4日目

今日も同じことの繰り返し。人生とはそういうものなのか。だから週末にはスポーツをしよう。稼いだお金で欲しかったものを買おう。昨日の単語の横にもう一つ単語を書き加える。そして念仏。今日は10秒ぐらいで念仏を切り上げる。綴りの確認は忘れずに。2日目の3分の1の時間だから15分か20分で終わる。もう暗記してしまった単語も結構出てくるはず。でも全然覚えられてない単語も結構ある。やっぱり私は頭が悪いのね、頭の良さは遺伝だから...。平凡な脳をお持ちの皆さん、安心して、凡骨に与えられた唯一の道は繰り返すことである!

「繰り返しは学習の母である」

「外国語上達法」にラテン語でそう書いてあった。凡骨万歳!

 

5日目

 念仏を5秒ぐらいに短縮してしまおうではないか。もう半分は暗記してしまった。いや、もう暗記してしまった単語はちらっと見て次に行こう。人生は短い。5日かけて丹精込めて暗記した単語は放っておいても勝手に頭の中で育ってゆく。そろそろ独り立ちさせる時が来た。たまに気づいたらいなくなってしまうこともあるが。一つ5秒なら10分以内に100個の単語を復習できる。そして単語リストもいい感じに埋まってきた。最初からもう少しきれいに書いておけばよかった。でも趣があってこれはこれで良し。

6日目

 ザ・デイ・オブ・フラッシュ。そろそろノートの右端にスペースがない。パッパッパとスピーディーに確認して今日は終わりにしよう。5泊したホテルのチェックアウトの日が来たような寂しさがあるが、私たちは次の場所へ急がなければならない。確認しながら暗記した単語とまだ暗記できていない単語を分別する。怪しい単語には丸を付けておく。彼らは来週からの旅にも同行するので日程を空けておいてもらおう。単語帳のレベルによらず、6日もかければ100個中80個ぐらいは暗記できたのではないか。来週からの旅に同行する問題児たちを除けば、今日で6日間を共にした単語たちとはお別れである。しかし、これは永遠の別れではない。必ずいつか出会える。いつか再会するために暗記したのだから。TOEIC単語帳をやったのなら、彼らはTOEICの中にたくさんいるし、IELTS単語帳ならIELTSの中でまた必ず会える。試験本番日に偶然彼らと再会したのなら、彼らは必ず私たちの味方に回ってくれるだろう。海外旅行や海外留学中に部屋の机で暗記した単語に再会することもまた喜びである。再会を願いつつ、今週はこれで終わり。今日は短かったから、余裕があれば1日目の100個書き出し作業をやってしまおう。6日も頑張ったのだからまあ、明日でもいいか。

 

語彙力があると変わること

語学力は語彙数に比例すると私は考える。データを探すほどガチでブログを書いていないので、根拠はなく単なる相関関係かもしれないが(アイスが売れると溺死者が増える的な。)、単語を数百個増やすと、英文を読むのに体力をあまり使わなくなるのを顕著に感じるし、知らない単語が一つもない英文に出遭う機会が多くなった。多くの単語を知っていることは、単語以外の英語の勉強を簡単にする。英語の重要な勉強の一つに慣用表現を覚えることがあるが、フレーズの中に知らない単語があると、まずは辞書を引かなければいけない。個別の単語を調べてから、まとまりとしての意味を調べるのは、市販の薬の箱の裏に書いてある成分表を見るような面倒な作業であり、文法テキストの例文に知らない意味の単語があるのは、文化人類学の授業で教授が黒板に書いた中国伝統スポーツの技名をとりあえずノートに写しておくようなものである。また、リスニング音声や、外国人と話す機会があったときに、知らない単語が出てくるのは人生で最も絶望的な瞬間の一つである。

ヘイ、ニーハオ!

 ダブリンの街を日本人数人と歩いていると、「ニーハオ」と声をかけられることがある。声をかけてくるのは、道端に座り込んで空の紙コップを通行人に差し出してお金を集めている人々や(ホームレスであることが多い)、アジア人をからかいに来るティーン、本物のレイシストなどである。しかし、外国人の移民と観光客と留学生が大量にいるダブリンでは本物のレイシストは少ない。全部のアジア人に「ニーハオ」と声をかけてからかっていたら、10秒に一回は「ニーハオ」と言わなければならず、疲れてしまうからである。さらにアフリカ系や東欧からの移民にもそんな言葉をかけていれば、自分が喋る時間など無くなってしまう。それだけダブリンには外国人が多い。

 最初は、「クソレイシストめ、くたばりやがれ!」と思って無視したり、「俺は日本人だ!中国人じゃない!」と思って怒ったりしていた。一緒に街を歩いていた同じ大学からの留学生が、「ニーハオ」と声をかけられた後に、笑顔で「ニーハオ」と挨拶を返し、丁寧に自分が日本人であることと、ニーハオが中国語で日本語の挨拶はコンニチハであることを説明しているのを見て、私は「あんなレイシスト無視するか蹴り飛ばすかどっちかにしろ」と注意したこともある。

 しかし、道端に座り込んでいる人に「ニーハオ」と声をかけ続けられていくうちに、彼らに差別的な意図は全くないのではないかということを感じ始めた。街中でかけられる「ニーハオ」のうち、本当に黄色人種をからかっているものと、そうでないものがあることを私はだいぶ後になってから気づいた。私は初めての海外で、自分が外国人であることに敏感になり過ぎていたのかもしれない。

 まず彼らが私たちに「ニーハオ」と声をかける理由は、私たちの気を引いて、自分の存在に気づいてもらうためである。ヨーロッパに来るアジア人観光客は金持ちが多いので、紙コップを差し出してお金を求めればまあまあな金額を入れることが多い。留学生も同じである。わざわざ自分の国より物価が高い国に留学しに来る学生は大体金持ちである。(私は大学からの奨学金とバイト代全額をつぎ込んで短期留学に来たカツカツな学生であったが。)したがって、通行人からお金を集めて生活をする人々にとって、アジア人に声をかけることは基本中の基本なのである。

 では、なぜ日本人に「ニーハオ」と声をかけるのか。考えられる理由は2つある。一つは街を歩いているアジア人が中国人である確率が高いからである。詳しい理由は分からないが、ダブリンには中国人移民がめちゃくちゃ多い。観光地にも大学にも路地裏にも中国語を話す人をたくさん見かけた。

 もう一つは、「ニーハオ」しか知らないという理由である。コンニチハも知らないのかと思うかもしれないが、ダブリンと東京は約1万キロ離れている。欧米での日本の様々な事柄に関する認知度は意外と低い。地図上で日本とフィリピンの場所を間違えるアメリカ人もいるという話も聞いたことがある。インド人ぽい人を見たら、多分挨拶はナマステだろうと考える私たちの感覚と似ているかもしれない。インド周辺にはナマステ以外の挨拶だってたくさんあるのに。

 そもそも、相手の国籍間違えることや、違う言語で声をかけてしまうことは失礼なのだろうか。中国人だと思われることに腹を立てることは、むしろ中国人に対して失礼なのではないか。潜在的に中国人を見下しているのではないか。悪意のない「ニーハオ」を無視したら、それは単に挨拶を無視したことになる。「ニーハオ」と声をかけられたら取るべき対応は、私の友人の様に、「ニーハオ」と挨拶を返し、私は日本人ですよ、と教えてあげることなような気がしてきた。紙コップにお金を入れるかはまた別の問題として。

イタリア人に対抗

 

 語学学校は語学を学ぶ場所なので、当然その言語のネイティブやネイティブレベルに話せる人はいない。私はそのことに語学学校に入学してから数日たって気づいた。アイルランドに留学をしているのに、関わるアイルランド人は先生以外に誰もいなかった。私のクラスの先生はアイルランド人だったが、中にはイギリス人もいるし、アメリカ人やフランス人などもいる。したがって語学留学をすると、現地にいながら現地人とほとんど関わらないということがあり、それを語学留学のデメリットであるという人もいる。そんな状況の中、マッチングアプリなどを使ってアイルランド人との交流を獲得した学生もいたが、それは後から知ったことである。アイリッシュガールとアイルランドの美しい公園の美しい芝生の上でおいしいクッキーやフルーツを広げてデートをする機会を逃したと思うと、非常に惜しいことをしたという感を禁じ得ない。

 しかし、アイルランド人が全くいないとは言え、語学学校には様々な国籍の学生が集まる。私のクラスには、日本、イタリア、チリ人学生がいて、他のクラスには、私の知る限りで、韓国、中国、スペイン、フランス、ドイツ人がいた。それほど多くの国籍の学生が、同じぐらいの比率で、一つ屋根のに集まる場所は語学学校ぐらいしか私は知らない。特にアイルランドの語学学校は、イギリス留学よりも安価で、首都ダブリンなら特有のアイリッシュアクセントもそこまで強くないので、ヨーロッパ中の国から語学留学先として人気なのである。

 そんな多国籍な環境で英語を学んでいたのだが、私が感銘を受けたのは、イタリア人学生たちの授業の受け方である。彼らは授業中手も上げずに勝手に発言し、先生が解説している最中に、先生より大きい声で質問を飛ばし授業を中断させ、クイズが出たら我先にと指名される前に答えてしまった。「誰かここの文章を音読してください。」と先生が言うと、3人ぐらいが同時に読み始めて気まずそうに顔を合わせる。もちろん顔を合わせているのは全員イタリア人学生である。そして何より私が感心したのは、よく間違えることである。それも教室中に響き渡るでかい声で。

 ああ、これが”学ぶ意欲”があるということか!

 積極的に発言し、質問し、間違える。これこそが学生、ストゥーデントのあるべき姿!

 学校は間違えていい場所、いや、間違えなければいけない場所!

 と、私はイタリア訛りの英語で騒がしい教室内で、静かに感動していた。

 しかし、感動も束の間、私はイタリア人と約同数教室内に座っている日本人学生の静かさに違和感を覚えた。私たちは別に学ぶ意欲がないわけではない。しかし、わからないことがあっても質問しないし、分かっても回答しない。日本では静かに先生の話を聴くことが良い生徒であり、授業中に悪目立ちすれば、私は頭がいいですと自慢しているとクラスメイトに取られて、反感を買いかねない。学ぶ意欲があるならば、授業後に先生に質問しに行くか、家に帰ってから分かるまで勉強する。日本的な授業を受ける態度は、授業が予定通りに進行し、すべての学生が平等の学びを得ることができるという点もあるので、両者一長一短あり、どちらが良いという結論を出すことはできないが、少なくとも両者が混在する教室では、静かなほうが圧倒されて学びが少なくなるということは明らかであった。

 違和感を感じながらも黙ったまま数日が経過した後、徐々に私の心は変化していった。イタリア人に日本人が圧倒されているという状況が私の闘争心、愛国心?に火をつけたのだ。俺は今、日本という国を背負ってアイルランドにいるんだ。外国に来たら誰もが国の代表である。ここで私が黙っていたら、日本人は授業中間違えることが怖くて発言できない民族だとここにいる外国人に思われてしまう!と思ったのである。

 次の日、私は勇気を出して、イタリア式で授業に臨むことを決意した。

「ここのカッコに入る単語は?」

 と授業の序盤に先生が言ったのを、待ってましたと言わんばかりに、一番最初に挙手もせずに回答した。が、イタリア人の女子学生の大きい声にかき消されてしまった。私のほうが0.2秒ぐらい早く答えたのに、先生は私の声を認識していない。ふん、敵は思ったよりも手ごわい。いや、私の声が、出そうと思っていた音量の5分の1ぐらいしか出なかった。次こそは、と意気込んでいたら、立て続けに先生は学生に発言の機会を与える。今までの授業もこんなに発言の機会があっただろうか。もしかしたら、授業に参加しようとしている私の姿勢に気づいてくれたのかもしれない。こうなったら、恥ずかしがっている暇などない。日本人よ、俺が先陣を切る!後に続け!

 そして私は堂々と大きな声で発言することに成功した。イタリア人よりも0.1秒早く、1.2倍の声量で。1度できてしまえば2回目以降はなんてことはない。発言の機会があれば全部答える。自信がない解答でも、自分なりに導き出した解答なら堂々と答える。間違えても全く恥ずかしくない。ここは学校なのだから。分からないことがあれば授業を止めてでも声に出して質問する。分からないのが自分だけだったとしても気にしない。私が分かってないんだから質問して何が悪い?

 私が先陣を切ると、心なしか他の日本人学生たちも少しずつ声を出して授業に参加するようになった。

 無双状態、興奮状態の中、その日の授業を終え、荷物をまとめてカフェテリアに向かおうとしたら、先生が近寄ってきた。

「今日の授業は昨日までと違って、よく話してたように感じるけど」

 私は日本での教室内の環境や、ここ数日の心境を率直に話した。

「やっぱり、そうだったのね。今日の授業はすごくやりやすかった。ありがとう。実は、今まで日本人学生の担当するのは少し嫌だったんだよね。話しかけても黙ってるし、何考えてるか分からなくて、私の授業に不満があるんじゃないかって不安になるときもあった。でも、日本人は筆記テストの点数がいつも高いから、まじめでやる気があることは知ってたんだけど。」

 カフェテリアで、チキン&チップスの行列に並んでいるときに、クラスメイトのチリ人と列の前後になって話をした。彼は毎回カレー&ライス+フライドチキントッピングのカレールー無しを注文する。有料のトッピングを追加してメインのカレーを抜くという不思議な裏メニューの注文に、カフェテリアのおばちゃんは毎回驚く。列に並びながらこんな会話をした。

 「君たち日本人は今日からよくしゃべるようになったね。」

 彼も日本人学生と同じように授業中はほとんど発言せずに座っている。イタリア人に感化されたという経緯を説明して、明日からはもっと発言するようにするということを話すと、

「今まで僕たちは仲間だと思っていたけど、違うみたいだね。僕が授業中静かなのは答えが本当に分からないからなんだ。でも、君たち日本人は答えが分かるのに黙っていたのか。しかも、口を開けば、全部正解じゃないか!」

誇らしいような、申し訳ないような気がした。でも、君は英語がうまいし、間違っても恥ずかしくないから、自信もって俺たちと一緒に明日から頑張ろうぜと言うと、

「ああ、明日から答えが分からないのが僕だけだって先生にバレちゃうよ」

 彼は冗談ではなく、本当に心配しているようだった。 

ルームメイトのダニエル

 

 留学先の寮生活ではダニエルというスペイン人のルームメイトがいた。ルームメイトと言っても彼は学生ではなく、大学に夏限定で働きに来ている27歳の職員で、事務の仕事をしたり、ツアーガイドをやったり、子どもたちにスポーツを教えたりして、彼自身自分の今の職業をなんと説明していいか分からないと言っていた。

 私が入寮する少し前からダニエルは寮に住んでいて、私が寮生活初日の夜にルームメイトとこれから始まる留学生活についてくつろぎながら話しているときに、仕事帰りのダニエルが突然部屋に帰ってきて、お互いに驚いた。ダニエルはひとりで暮らしていた部屋に、突然見ず知らずのアジア人数人が座って話しているし、私たちはこれからの生活をどう生き延びるか話し合っていたところに、突然「Hi!」と言って金髪のイケメン西洋人が部屋に入ってきたので、状況を理解するのにしばらく時間がかかった。そういえば、棚の中には古くなさそうな食パンとピーナッツバターが入っていたし、冷蔵庫にはまだ食べられそうな林檎が一つ入っていたが、前の住人が忘れていったか、好意で食材を残していってくれたのかと思って特に気にしていなかったということがあった。

 ダニエルは、毎日無料の食事を職員用の食堂で済ませてきて、20時ぐらいに寮に帰ってきた。職員はすべての食事代が無料で、寮の家賃も1セントも払っていないため、生活費は全くかからない。その上アイルランドの賃金はスペインよりもかなり高いらしく、ダニエルはこの期間でかなりの貯金ができて、家族に給料の一部を渡すこともできると誇らしげに話していた。また、ダニエルはかなりの節約家と見えて、毎朝水筒に水道水を入れて持ち歩き、スーパーで買ってくる食材は安い食パンと林檎のみで、お菓子やアルコールなどを買ってきているのを一度も見たことがない。

 ダニエルは仕事から帰ってくると、「ヘイガイズ!」と一言挨拶をしてから、荷物をベッドルームに置いて、水道水を水筒に入れなおしてから、共有スペースのソファに寝転がって水を上手そうに飲むのが日課であった。私たち日本人学生はそのタイミングを見計らってダニエルと話すためにベッドルームに行った。今思えば休みたいときにアジア人学生に質問攻めにされて、ダニエルには少し申し訳ないことをしたのではないかと思う。しかし、スペインの小学校でフルタイムで体育教師をやっていて、ヨーロッパ以外の国には行ったことがないというダニエルにとって、英語を喋るアジア人と話すのが珍しかったのか、迷惑そうな素振りは全く見せずに質問に丁寧に答えてくれたし、英語が伝わらないときには分かるまで言い直してくれたし、聞きなおしてくれた。何よりダニエルは、アイルランドの生活が本当に楽しそうだったし、彼自身アイルランドで働くことが念願の行事だったらしい。

 ダニエルの英語はスペイン語訛りが強くあまり流暢とは言えなかったし、私がやや難しい英単語使うと理解できないこともあった。それでも彼はアイルランドで働き、子どもたちにスポーツを教えたり、ツアーガイドをしたりしているので、初めて海外に来た私にとって、自分の英語力ですでに英語圏でやっていけるという確信になった。とはいえ、同じぐらいの英語力なのに、私は高い料金と高い生活費を払ってここに座っていて、ダニエルは高い給料をもらって無料の食事付きで同じ場所に座っていることが不思議であり、ずるいとさえ感じた。その話をすると、ダニエルは大笑いをして、少し考えてから、

「確かにそれはおもしろいね。ただ僕はラッキーなだけだよ。スペイン人がアイルランドで働こうと思っても簡単に仕事は見つからないし、たまたま今働いている職場のボスがスペイン人で、英語ができる体育教師を探していると聞いたから、チャンスを逃すまいと急いで申し込んだんだ。」

 ダニエルは学校で人気の若い体育教師の素質を備えた話好きの好青年だった。私たちの大学での勉強のことや将来の計画、自分が若かった時の話などまじめな話もしたし、週末にバーで同僚とナンパしてウクライナ人女性をゲットした話など国籍を超えた男同士の話もした。

 話はアイルランドでの言葉の苦労の話になった。アイルランド人の英語が全く聞き取れないこと、英語圏外のヨーロッパ人の訛りのある英語が理解できないということは私たちと共通だった。スペイン語訛りや日本語訛りは時々苦労するし理解できなくて聞き返すこともあるが、特にannoying(イラつかせる)なのはドイツ人のドイツ語訛りの英語だと話していたのが面白かった。

「日本にいると、英語を話す機会がほぼないから、なかなかスピーキングがうまくならないし、かなり頑張ってないと、どんどん英語の能力が落ちていく気がするんだ。今は大学生だから英語を勉強する時間がたくさんあるけど、卒業して働き始めたら勉強する時間なんて多分ないし、英語が必要ない仕事なんか始めたら、すぐに英語の能力がゼロになりそうなんだけど、どう思う?」

私は思っている英語に対する不安を率直に質問した。

「ああ、スペインも日本と全く同じ状況だよ。若い学生は比較的英語ができるけど、学校以外で英語なんて全く必要ないし、大都市以外には外国人もいないから、卒業したらどんどん英語はできなくなっていくよ。」

 私はこの問題は東アジアという地理的な問題が原因だと思っていたので、スペインでも同じ問題があるということに驚いた。というか、ヨーロッパの先進国の人はみんな英語ができると思っていたが、それは迷信だったということが分かった。英語力が高い北欧の国などを除けば、スペインにもフランスにもドイツにもイタリアにも英語が全く話せない人がかなりいるらしい。

「英語ができなくなるのは仕方がないことだよ。完璧に英語を維持することは可能かもしれないけど、働き始めたら新しく覚えないといけないこととか、頑張らなきゃいけないことがほかにもあるでしょ。スピーキングは必要になったら、英会話とかで時間をかけてもう一回できるようになればいい。でも、もし将来海外で働きたいと思ってるなら、”understanding”(理解すること)の能力だけは落としちゃいけない。聞くことと、読むこと。生活するのにも働くのにも、英語を理解することが一番大事だから。」

 日本の英語教育がスピーキングに力を入れていないことを嘆く人は多い。私も高校卒業の時点で外国人と英語で難なくコミュニケーションが取れればよかったのにと何度も思ったことがある。

 しかし、ダニエルは英語で大事なことは理解することで、スピーキングはそれほど大事ではないと主張する。英語の4技能で言うと、リーディングとリスニングである。実際私もアイルランドでしばらく生活してみて、相手が何を言っているか分からなければ、コミュニケーションは成立しないし、街や空港にある注意書きや、アナウンス、スマホで調べた情報を正しく理解する能力がないと生きていくことが難しいということを実感していた。

 「understandingの能力を維持することは、スピーキングを練習するよりもずっと簡単で、英語のニュースを読むこと、英語の映画を観るときに字幕や吹き替えに頼らないこと、基本的な英単語は忘れないようにたまに勉強することとかで維持できるよ。まあ、苦しくない程度に続けることが重要ってこと。スポーツと一緒でね。せっかく今君はそんなに英語ができるんだから、10年後とかに海外で働くチャンスが巡ってきたときに逃したらいけないよ。」

 ダニエルに質問すると毎回感心させられる回答が返ってきた。きっと彼はスペンでは人格者でかなり優秀で生徒から人気のある体育教師なんだろう。何日か話しただけで私たち日本人学生の兄貴的存在になってしまったのだから。彼は今もスペインで体育教師を続けているだろうか。アイルランドで稼いだ大金は何に使っただろうか。彼とルームメイトになったことは留学してよかったと思えることの一つである。連絡先を交換するタイミングがないまま私たちが先に帰国してしまったので、ダニエルが今何をしているのかは全く分からない。もう一度会ったらまたいろいろな話を聴きたい。特に、私と同じぐらいの英語力で、バーでウクライナ人をナンパして成功した方法について。

欧州人の滅茶苦茶な英語

 

 案内された教室に入ると、すでに授業は始まっていた。教室の前側を空けたコの字型に並べられた机には10人ぐらいの学生が座っている。案内係の中年男性は気づいたらいなくなっていた。私ともう一人の同じ大学からダブリンに来た男子学生がどうしていいかわからずに先生が何か私たちに言うのを待っている間、教室で授業を受けている学生たちがジーっとこちらを見ていた。アジア人が何人かその中にいるが、日本人なのか韓国人なのか中国人なのか判断ができない。年齢は自分と同じぐらいか少し下ぐらいであろう。その他の学生たちについては、どこの国から来たのか、何歳ぐらいなのかを顔立ちだけで判断することはできなかった。

 どれくらいドアの前で待たされたか定かではないが、初めての異国の地で授業中の教室に放り出された極東から来た若者二人を、このまま声をかけなければいつまでもじっとしていると思ったのか、「空いてる席に座って」とだけ声をかけて、何事もなかったように授業を再開した。せめて今やっているページ数だけでも教えてほしいと思ったが、さすがにこの扱いはひどすぎると思い、抗議の意味も込めて、机の上に何も出さず背もたれに寄りかかって、授業をを聴いていた。本当は戸惑いと緊張でキョロキョロしたくてしょうがなかったのだが、私がそんなことをしたら日本人が舐められるという、日本を背負っているという勝手な意識から、この語学学校の授業の質が自分が求める水準に達しているかを評価するような厳しい態度を装っていたが、実際はアイルランド訛りの英語を半分も聞き取れてなかった。

 結局、放置されていた時間は数分で、もう少しで進めているページが終わるというキリの悪い時間に私が入室してしまっただけの話だったらしい。先生はディドラという名前の40歳ぐらいのベネディクト・カンバーバッチのような顔立ちのアイルランド人女性で、新しく入学してきた私たちに自己紹介をするように言った。

「こんにちは、ショウタロウです。日本の東京の大学から来ました。赤ちゃんの時にグアムという太平洋にあるアメリカ領の島に行ったことある以外、外国に来るのは初めてなので緊張しています。時差ボケで今日は3時半に起きました。ナイストゥミーチュー」

 何人かの学生が笑った。用意していた自己紹介が少しウケたことと噛まずに最後まで言えたことで、少し緊張が解けた。イギリスではユーモアがその人の人格を判断するうえで大きなウエイトを占めていると聞いたことがあるが、アイルランドではどうだろうか。自己紹介がその後の学校生活で有利に働いたかは定かではない。

 二人の自己紹介が終わったら、すでに授業を受けている学生たちが順番に自己紹介をしていった。

「ハルナです」

「アヤです」

「ソウイチです」

 教室にいたアジア人は全員日本人だった。後で話を聞くと(もちろん日本語で)、長期留学がもう少しで終わるという人もいれば、先週来たばかりという人もいて、大学も出身も様々だった。右も左も言葉もわからない外国で同郷の友人ができて、少し安堵の気持ちもあったが、せっかく留学に来たのに日本人と勉強をするのはいかがなものかと最初は思っていた。しかし、私よりも少し先にダブリンで生活している彼らから、いろいろな情報を得たことは、私の留学生活を充実させる助けとなった。絶対行ったほうがいい場所や、寮の近くにある外国人でも入りやすいバー、日本食が恋しくなった時に日本食が手に入るジャパニーズ・レストラン(ジャパレス)、レンチンの米が売っているアジアンショップ、逆に旅行ガイドには載っているが金を取るだけで全然面白くない場所などを教えてもらい、その情報をもとに、帰国までの限られた時間でダブリンのあらゆる場所に足を運んだ。

 残りのクラスメイトは、5人の同じ大学から留学に来たイタリア人と、35歳のチリ人だった。ヨーロッパの若い人は英語ができると勝手に思い込んでいたが、彼らは私たちと同じようにアイルランドの語学学校に来て英語を学んでいる。クラスは事前に行ったレベル分けテストの結果に基づいて分けられているので、知っている語彙のレベルや話す流暢さが全員ほぼ同じぐらいで、クラスメイトとは非常に話しやすいし、間違えることや、知らない単語が出てきたときに聞き直すことに抵抗がなく、語学学校にいる間、私の英語の能力は驚異的な速さで上がっていった。

 イタリア人のクラスメイトと話していく中で(私も外国人だが)、「英語が下手」という意味が日本人とイタリア人では少し違うように感じた。日本人の英語が下手な人は、単語やフレーズが出てこないこともあるが、疑問文や仮定法や完了形の文章を頭の中で作ることに苦労してゆっくりになってしまったり、止まってしまったりすることが多い。しかしイタリア人のクラスメイト達は、比較的流暢に英語を話すが、時々イタリア語っぽくなる。チリ人の英語も「今スペイン語話してなかった?」となって聞き返すことが度々あった。後になってに分かったことだが、イタリア語とスペイン語は英語に似ている言語なので、英語の文章を組み立てたり、つっかえずに話すことは難しくないらしい。一方で似ているが故、英語を話しているときに似ている単語を間違えてイタリア語で話してしまったりするため、英語から自分の言語を排除することにはとても苦労する。私より下のレベルのクラスにいたフランス人は流れるようにほぼフランス語の英語を自信満々に話していた。彼と話したときは、なかなかコミュニケーションがうまく取れないし、自分のリスニングが悪いのか、彼の発音が悪いのか分からない。

 日本語と英語は全く似ていない言語であり、日本人はまっさらな状態から英語を学ぶことができるという点で、イタリア人やフランス人よりも英語学習のアドバンテージがあるのではないかと思う。中高生にとって英語は受験地獄の一部でしかないということを除けばだが。

 

 

 

 

海の向こうからの引力

 

 大学四年生の春、後輩から一通のラインが来た。

「夏休み留学行くことになったから、一緒に参加しようって言ってた研修、行けなくなった!」

 そんな約束していたことなんてすっかり忘れていた。いいなあ、後輩たちは。大学生活がコロナで台無しになってなくて。俺も一回ぐらい留学行ってみたかったなあ。

 「へー!留学頑張って!」で終わりにすればよかったのに、留学という単語に何か未練があるのか、ラインの会話の最低限のマナーとしてか、一応留学の詳細を聞いてみた。大学が主催している夏休みに一か月だけの語学留学で、いくつかの国の選択肢があって、現地の大学に行く。今年はコロナが流行ってから最初の募集らしい。詳細のリンクが送られてきた。別にそこまで知りたくはないのだが。

 夏休みに一か月だけ語学留学。奨学金も出て、金銭的には問題ない。アメリカ、オーストラリア、アイルランドのいずれかの国。まだ募集してる。俺でも行ける...行きたい...。しかし、大学四年生には大学四年間の一大イベント、就活がある。7月~8月の留学なら、就活を終わらせてから留学に行くということも可能である。しかし、申し込みが始まった四月の時点で私は就活を始めたばかり、いや、始めようと思っていたところだった。親に相談すれば100%反対されるだろう。周りの同級生たちは何社か内定をもらっていたり、面接や説明会があるからと言って授業を休んだりしていて、私は完全に就活に出遅れてしまっていたので、今すぐ始めないと失敗するという焦りがあった。

 私は当時23歳、今までに一度も海外に行ったことはなかった。大学に入学したときは漠然と留学したいとか、バイトでお金を貯めて海外旅行に行きたいとかは思っていたが、大学二年の時に始まったコロナウイルスの流行で、大学生活の半分はバイトと引きこもりの日々だった。漠然とした海外への憧れ。アメリカ、オーストラリア、アイルランド。ちょうどそのころ、藤原正彦の「若き数学者のアメリカ」を読んでいたので、留学への憧れは最高潮になっていた。この機会を逃せばこのままドメスティックな人間として人生を送っていくのだろう。昔は英語得意だったんだぞ、と子供に自慢するドメスティックな父親になるのだろう。

 親には相談できないので、もし留学が決定したとしても、費用を払ってから事後報告にしようと決めた。それなら反対されたとしても行ってしまえばこちらのものである。しかし誰にも相談しないで申し込むのも不安なので、大学の先生や知り合いの社会人、先輩、友人など、いろいろな人に相談した。

 筆者はもう行く気でいたので、誰かに反対してほしい、自分が納得するように引き留めてほしいと思って相談をしていたのかもしれない。

大先輩Y「よく考えたほうが良いよ。優先順位ってのがあるだろ?留学だろ!」

同級生J「へー、留学?行ってくれば?で、どの国にする?俺だったらアメリカだな」

後輩A「おみやげヨロです」

 いや、誰か引き留めてくれ。本当に行っちゃうよ、俺?いいの?お金払っちゃうよ?就活詰むよ?そうして私は就活をやめて留学に行くことを決心する。たった一か月の留学だが、それがその後の人生をかき混ぜてしまう人生の大事件になるとは知らずに。

 しかし、相談した相手が全員反対していても私は結局留学に行くことにしていたのではないか。抗うことのできない不思議な引力。無視している状態が苦しくて耐えられない。水が上から下に流れるように、放したボールが坂を転がるように、不安定な原子同士が結合するように。気づいたら募集要項を読んでる。後輩からラインが来た時点でもう決まっていたのかもしれない。

 そして申し込みを完了してから両親に報告した。

「いいじゃん!お金少しは支援できるよ・・・・・・あれ、就活は?」

 まあ予想していた反応である。そして私は用意していた渾身の返事をする。

「帰ってきてからする。もう、申し込んじゃったし。」