海の向こうからの引力

 

 大学四年生の春、後輩から一通のラインが来た。

「夏休み留学行くことになったから、一緒に参加しようって言ってた研修、行けなくなった!」

 そんな約束していたことなんてすっかり忘れていた。いいなあ、後輩たちは。大学生活がコロナで台無しになってなくて。俺も一回ぐらい留学行ってみたかったなあ。

 「へー!留学頑張って!」で終わりにすればよかったのに、留学という単語に何か未練があるのか、ラインの会話の最低限のマナーとしてか、一応留学の詳細を聞いてみた。大学が主催している夏休みに一か月だけの語学留学で、いくつかの国の選択肢があって、現地の大学に行く。今年はコロナが流行ってから最初の募集らしい。詳細のリンクが送られてきた。別にそこまで知りたくはないのだが。

 夏休みに一か月だけ語学留学。奨学金も出て、金銭的には問題ない。アメリカ、オーストラリア、アイルランドのいずれかの国。まだ募集してる。俺でも行ける...行きたい...。しかし、大学四年生には大学四年間の一大イベント、就活がある。7月~8月の留学なら、就活を終わらせてから留学に行くということも可能である。しかし、申し込みが始まった四月の時点で私は就活を始めたばかり、いや、始めようと思っていたところだった。親に相談すれば100%反対されるだろう。周りの同級生たちは何社か内定をもらっていたり、面接や説明会があるからと言って授業を休んだりしていて、私は完全に就活に出遅れてしまっていたので、今すぐ始めないと失敗するという焦りがあった。

 私は当時23歳、今までに一度も海外に行ったことはなかった。大学に入学したときは漠然と留学したいとか、バイトでお金を貯めて海外旅行に行きたいとかは思っていたが、大学二年の時に始まったコロナウイルスの流行で、大学生活の半分はバイトと引きこもりの日々だった。漠然とした海外への憧れ。アメリカ、オーストラリア、アイルランド。ちょうどそのころ、藤原正彦の「若き数学者のアメリカ」を読んでいたので、留学への憧れは最高潮になっていた。この機会を逃せばこのままドメスティックな人間として人生を送っていくのだろう。昔は英語得意だったんだぞ、と子供に自慢するドメスティックな父親になるのだろう。

 親には相談できないので、もし留学が決定したとしても、費用を払ってから事後報告にしようと決めた。それなら反対されたとしても行ってしまえばこちらのものである。しかし誰にも相談しないで申し込むのも不安なので、大学の先生や知り合いの社会人、先輩、友人など、いろいろな人に相談した。

 筆者はもう行く気でいたので、誰かに反対してほしい、自分が納得するように引き留めてほしいと思って相談をしていたのかもしれない。

大先輩Y「よく考えたほうが良いよ。優先順位ってのがあるだろ?留学だろ!」

同級生J「へー、留学?行ってくれば?で、どの国にする?俺だったらアメリカだな」

後輩A「おみやげヨロです」

 いや、誰か引き留めてくれ。本当に行っちゃうよ、俺?いいの?お金払っちゃうよ?就活詰むよ?そうして私は就活をやめて留学に行くことを決心する。たった一か月の留学だが、それがその後の人生をかき混ぜてしまう人生の大事件になるとは知らずに。

 しかし、相談した相手が全員反対していても私は結局留学に行くことにしていたのではないか。抗うことのできない不思議な引力。無視している状態が苦しくて耐えられない。水が上から下に流れるように、放したボールが坂を転がるように、不安定な原子同士が結合するように。気づいたら募集要項を読んでる。後輩からラインが来た時点でもう決まっていたのかもしれない。

 そして申し込みを完了してから両親に報告した。

「いいじゃん!お金少しは支援できるよ・・・・・・あれ、就活は?」

 まあ予想していた反応である。そして私は用意していた渾身の返事をする。

「帰ってきてからする。もう、申し込んじゃったし。」