欧州人の滅茶苦茶な英語

 

 案内された教室に入ると、すでに授業は始まっていた。教室の前側を空けたコの字型に並べられた机には10人ぐらいの学生が座っている。案内係の中年男性は気づいたらいなくなっていた。私ともう一人の同じ大学からダブリンに来た男子学生がどうしていいかわからずに先生が何か私たちに言うのを待っている間、教室で授業を受けている学生たちがジーっとこちらを見ていた。アジア人が何人かその中にいるが、日本人なのか韓国人なのか中国人なのか判断ができない。年齢は自分と同じぐらいか少し下ぐらいであろう。その他の学生たちについては、どこの国から来たのか、何歳ぐらいなのかを顔立ちだけで判断することはできなかった。

 どれくらいドアの前で待たされたか定かではないが、初めての異国の地で授業中の教室に放り出された極東から来た若者二人を、このまま声をかけなければいつまでもじっとしていると思ったのか、「空いてる席に座って」とだけ声をかけて、何事もなかったように授業を再開した。せめて今やっているページ数だけでも教えてほしいと思ったが、さすがにこの扱いはひどすぎると思い、抗議の意味も込めて、机の上に何も出さず背もたれに寄りかかって、授業をを聴いていた。本当は戸惑いと緊張でキョロキョロしたくてしょうがなかったのだが、私がそんなことをしたら日本人が舐められるという、日本を背負っているという勝手な意識から、この語学学校の授業の質が自分が求める水準に達しているかを評価するような厳しい態度を装っていたが、実際はアイルランド訛りの英語を半分も聞き取れてなかった。

 結局、放置されていた時間は数分で、もう少しで進めているページが終わるというキリの悪い時間に私が入室してしまっただけの話だったらしい。先生はディドラという名前の40歳ぐらいのベネディクト・カンバーバッチのような顔立ちのアイルランド人女性で、新しく入学してきた私たちに自己紹介をするように言った。

「こんにちは、ショウタロウです。日本の東京の大学から来ました。赤ちゃんの時にグアムという太平洋にあるアメリカ領の島に行ったことある以外、外国に来るのは初めてなので緊張しています。時差ボケで今日は3時半に起きました。ナイストゥミーチュー」

 何人かの学生が笑った。用意していた自己紹介が少しウケたことと噛まずに最後まで言えたことで、少し緊張が解けた。イギリスではユーモアがその人の人格を判断するうえで大きなウエイトを占めていると聞いたことがあるが、アイルランドではどうだろうか。自己紹介がその後の学校生活で有利に働いたかは定かではない。

 二人の自己紹介が終わったら、すでに授業を受けている学生たちが順番に自己紹介をしていった。

「ハルナです」

「アヤです」

「ソウイチです」

 教室にいたアジア人は全員日本人だった。後で話を聞くと(もちろん日本語で)、長期留学がもう少しで終わるという人もいれば、先週来たばかりという人もいて、大学も出身も様々だった。右も左も言葉もわからない外国で同郷の友人ができて、少し安堵の気持ちもあったが、せっかく留学に来たのに日本人と勉強をするのはいかがなものかと最初は思っていた。しかし、私よりも少し先にダブリンで生活している彼らから、いろいろな情報を得たことは、私の留学生活を充実させる助けとなった。絶対行ったほうがいい場所や、寮の近くにある外国人でも入りやすいバー、日本食が恋しくなった時に日本食が手に入るジャパニーズ・レストラン(ジャパレス)、レンチンの米が売っているアジアンショップ、逆に旅行ガイドには載っているが金を取るだけで全然面白くない場所などを教えてもらい、その情報をもとに、帰国までの限られた時間でダブリンのあらゆる場所に足を運んだ。

 残りのクラスメイトは、5人の同じ大学から留学に来たイタリア人と、35歳のチリ人だった。ヨーロッパの若い人は英語ができると勝手に思い込んでいたが、彼らは私たちと同じようにアイルランドの語学学校に来て英語を学んでいる。クラスは事前に行ったレベル分けテストの結果に基づいて分けられているので、知っている語彙のレベルや話す流暢さが全員ほぼ同じぐらいで、クラスメイトとは非常に話しやすいし、間違えることや、知らない単語が出てきたときに聞き直すことに抵抗がなく、語学学校にいる間、私の英語の能力は驚異的な速さで上がっていった。

 イタリア人のクラスメイトと話していく中で(私も外国人だが)、「英語が下手」という意味が日本人とイタリア人では少し違うように感じた。日本人の英語が下手な人は、単語やフレーズが出てこないこともあるが、疑問文や仮定法や完了形の文章を頭の中で作ることに苦労してゆっくりになってしまったり、止まってしまったりすることが多い。しかしイタリア人のクラスメイト達は、比較的流暢に英語を話すが、時々イタリア語っぽくなる。チリ人の英語も「今スペイン語話してなかった?」となって聞き返すことが度々あった。後になってに分かったことだが、イタリア語とスペイン語は英語に似ている言語なので、英語の文章を組み立てたり、つっかえずに話すことは難しくないらしい。一方で似ているが故、英語を話しているときに似ている単語を間違えてイタリア語で話してしまったりするため、英語から自分の言語を排除することにはとても苦労する。私より下のレベルのクラスにいたフランス人は流れるようにほぼフランス語の英語を自信満々に話していた。彼と話したときは、なかなかコミュニケーションがうまく取れないし、自分のリスニングが悪いのか、彼の発音が悪いのか分からない。

 日本語と英語は全く似ていない言語であり、日本人はまっさらな状態から英語を学ぶことができるという点で、イタリア人やフランス人よりも英語学習のアドバンテージがあるのではないかと思う。中高生にとって英語は受験地獄の一部でしかないということを除けばだが。