イタリア人に対抗

 

 語学学校は語学を学ぶ場所なので、当然その言語のネイティブやネイティブレベルに話せる人はいない。私はそのことに語学学校に入学してから数日たって気づいた。アイルランドに留学をしているのに、関わるアイルランド人は先生以外に誰もいなかった。私のクラスの先生はアイルランド人だったが、中にはイギリス人もいるし、アメリカ人やフランス人などもいる。したがって語学留学をすると、現地にいながら現地人とほとんど関わらないということがあり、それを語学留学のデメリットであるという人もいる。そんな状況の中、マッチングアプリなどを使ってアイルランド人との交流を獲得した学生もいたが、それは後から知ったことである。アイリッシュガールとアイルランドの美しい公園の美しい芝生の上でおいしいクッキーやフルーツを広げてデートをする機会を逃したと思うと、非常に惜しいことをしたという感を禁じ得ない。

 しかし、アイルランド人が全くいないとは言え、語学学校には様々な国籍の学生が集まる。私のクラスには、日本、イタリア、チリ人学生がいて、他のクラスには、私の知る限りで、韓国、中国、スペイン、フランス、ドイツ人がいた。それほど多くの国籍の学生が、同じぐらいの比率で、一つ屋根のに集まる場所は語学学校ぐらいしか私は知らない。特にアイルランドの語学学校は、イギリス留学よりも安価で、首都ダブリンなら特有のアイリッシュアクセントもそこまで強くないので、ヨーロッパ中の国から語学留学先として人気なのである。

 そんな多国籍な環境で英語を学んでいたのだが、私が感銘を受けたのは、イタリア人学生たちの授業の受け方である。彼らは授業中手も上げずに勝手に発言し、先生が解説している最中に、先生より大きい声で質問を飛ばし授業を中断させ、クイズが出たら我先にと指名される前に答えてしまった。「誰かここの文章を音読してください。」と先生が言うと、3人ぐらいが同時に読み始めて気まずそうに顔を合わせる。もちろん顔を合わせているのは全員イタリア人学生である。そして何より私が感心したのは、よく間違えることである。それも教室中に響き渡るでかい声で。

 ああ、これが”学ぶ意欲”があるということか!

 積極的に発言し、質問し、間違える。これこそが学生、ストゥーデントのあるべき姿!

 学校は間違えていい場所、いや、間違えなければいけない場所!

 と、私はイタリア訛りの英語で騒がしい教室内で、静かに感動していた。

 しかし、感動も束の間、私はイタリア人と約同数教室内に座っている日本人学生の静かさに違和感を覚えた。私たちは別に学ぶ意欲がないわけではない。しかし、わからないことがあっても質問しないし、分かっても回答しない。日本では静かに先生の話を聴くことが良い生徒であり、授業中に悪目立ちすれば、私は頭がいいですと自慢しているとクラスメイトに取られて、反感を買いかねない。学ぶ意欲があるならば、授業後に先生に質問しに行くか、家に帰ってから分かるまで勉強する。日本的な授業を受ける態度は、授業が予定通りに進行し、すべての学生が平等の学びを得ることができるという点もあるので、両者一長一短あり、どちらが良いという結論を出すことはできないが、少なくとも両者が混在する教室では、静かなほうが圧倒されて学びが少なくなるということは明らかであった。

 違和感を感じながらも黙ったまま数日が経過した後、徐々に私の心は変化していった。イタリア人に日本人が圧倒されているという状況が私の闘争心、愛国心?に火をつけたのだ。俺は今、日本という国を背負ってアイルランドにいるんだ。外国に来たら誰もが国の代表である。ここで私が黙っていたら、日本人は授業中間違えることが怖くて発言できない民族だとここにいる外国人に思われてしまう!と思ったのである。

 次の日、私は勇気を出して、イタリア式で授業に臨むことを決意した。

「ここのカッコに入る単語は?」

 と授業の序盤に先生が言ったのを、待ってましたと言わんばかりに、一番最初に挙手もせずに回答した。が、イタリア人の女子学生の大きい声にかき消されてしまった。私のほうが0.2秒ぐらい早く答えたのに、先生は私の声を認識していない。ふん、敵は思ったよりも手ごわい。いや、私の声が、出そうと思っていた音量の5分の1ぐらいしか出なかった。次こそは、と意気込んでいたら、立て続けに先生は学生に発言の機会を与える。今までの授業もこんなに発言の機会があっただろうか。もしかしたら、授業に参加しようとしている私の姿勢に気づいてくれたのかもしれない。こうなったら、恥ずかしがっている暇などない。日本人よ、俺が先陣を切る!後に続け!

 そして私は堂々と大きな声で発言することに成功した。イタリア人よりも0.1秒早く、1.2倍の声量で。1度できてしまえば2回目以降はなんてことはない。発言の機会があれば全部答える。自信がない解答でも、自分なりに導き出した解答なら堂々と答える。間違えても全く恥ずかしくない。ここは学校なのだから。分からないことがあれば授業を止めてでも声に出して質問する。分からないのが自分だけだったとしても気にしない。私が分かってないんだから質問して何が悪い?

 私が先陣を切ると、心なしか他の日本人学生たちも少しずつ声を出して授業に参加するようになった。

 無双状態、興奮状態の中、その日の授業を終え、荷物をまとめてカフェテリアに向かおうとしたら、先生が近寄ってきた。

「今日の授業は昨日までと違って、よく話してたように感じるけど」

 私は日本での教室内の環境や、ここ数日の心境を率直に話した。

「やっぱり、そうだったのね。今日の授業はすごくやりやすかった。ありがとう。実は、今まで日本人学生の担当するのは少し嫌だったんだよね。話しかけても黙ってるし、何考えてるか分からなくて、私の授業に不満があるんじゃないかって不安になるときもあった。でも、日本人は筆記テストの点数がいつも高いから、まじめでやる気があることは知ってたんだけど。」

 カフェテリアで、チキン&チップスの行列に並んでいるときに、クラスメイトのチリ人と列の前後になって話をした。彼は毎回カレー&ライス+フライドチキントッピングのカレールー無しを注文する。有料のトッピングを追加してメインのカレーを抜くという不思議な裏メニューの注文に、カフェテリアのおばちゃんは毎回驚く。列に並びながらこんな会話をした。

 「君たち日本人は今日からよくしゃべるようになったね。」

 彼も日本人学生と同じように授業中はほとんど発言せずに座っている。イタリア人に感化されたという経緯を説明して、明日からはもっと発言するようにするということを話すと、

「今まで僕たちは仲間だと思っていたけど、違うみたいだね。僕が授業中静かなのは答えが本当に分からないからなんだ。でも、君たち日本人は答えが分かるのに黙っていたのか。しかも、口を開けば、全部正解じゃないか!」

誇らしいような、申し訳ないような気がした。でも、君は英語がうまいし、間違っても恥ずかしくないから、自信もって俺たちと一緒に明日から頑張ろうぜと言うと、

「ああ、明日から答えが分からないのが僕だけだって先生にバレちゃうよ」

 彼は冗談ではなく、本当に心配しているようだった。