ヘイ、ニーハオ!

 ダブリンの街を日本人数人と歩いていると、「ニーハオ」と声をかけられることがある。声をかけてくるのは、道端に座り込んで空の紙コップを通行人に差し出してお金を集めている人々や(ホームレスであることが多い)、アジア人をからかいに来るティーン、本物のレイシストなどである。しかし、外国人の移民と観光客と留学生が大量にいるダブリンでは本物のレイシストは少ない。全部のアジア人に「ニーハオ」と声をかけてからかっていたら、10秒に一回は「ニーハオ」と言わなければならず、疲れてしまうからである。さらにアフリカ系や東欧からの移民にもそんな言葉をかけていれば、自分が喋る時間など無くなってしまう。それだけダブリンには外国人が多い。

 最初は、「クソレイシストめ、くたばりやがれ!」と思って無視したり、「俺は日本人だ!中国人じゃない!」と思って怒ったりしていた。一緒に街を歩いていた同じ大学からの留学生が、「ニーハオ」と声をかけられた後に、笑顔で「ニーハオ」と挨拶を返し、丁寧に自分が日本人であることと、ニーハオが中国語で日本語の挨拶はコンニチハであることを説明しているのを見て、私は「あんなレイシスト無視するか蹴り飛ばすかどっちかにしろ」と注意したこともある。

 しかし、道端に座り込んでいる人に「ニーハオ」と声をかけ続けられていくうちに、彼らに差別的な意図は全くないのではないかということを感じ始めた。街中でかけられる「ニーハオ」のうち、本当に黄色人種をからかっているものと、そうでないものがあることを私はだいぶ後になってから気づいた。私は初めての海外で、自分が外国人であることに敏感になり過ぎていたのかもしれない。

 まず彼らが私たちに「ニーハオ」と声をかける理由は、私たちの気を引いて、自分の存在に気づいてもらうためである。ヨーロッパに来るアジア人観光客は金持ちが多いので、紙コップを差し出してお金を求めればまあまあな金額を入れることが多い。留学生も同じである。わざわざ自分の国より物価が高い国に留学しに来る学生は大体金持ちである。(私は大学からの奨学金とバイト代全額をつぎ込んで短期留学に来たカツカツな学生であったが。)したがって、通行人からお金を集めて生活をする人々にとって、アジア人に声をかけることは基本中の基本なのである。

 では、なぜ日本人に「ニーハオ」と声をかけるのか。考えられる理由は2つある。一つは街を歩いているアジア人が中国人である確率が高いからである。詳しい理由は分からないが、ダブリンには中国人移民がめちゃくちゃ多い。観光地にも大学にも路地裏にも中国語を話す人をたくさん見かけた。

 もう一つは、「ニーハオ」しか知らないという理由である。コンニチハも知らないのかと思うかもしれないが、ダブリンと東京は約1万キロ離れている。欧米での日本の様々な事柄に関する認知度は意外と低い。地図上で日本とフィリピンの場所を間違えるアメリカ人もいるという話も聞いたことがある。インド人ぽい人を見たら、多分挨拶はナマステだろうと考える私たちの感覚と似ているかもしれない。インド周辺にはナマステ以外の挨拶だってたくさんあるのに。

 そもそも、相手の国籍間違えることや、違う言語で声をかけてしまうことは失礼なのだろうか。中国人だと思われることに腹を立てることは、むしろ中国人に対して失礼なのではないか。潜在的に中国人を見下しているのではないか。悪意のない「ニーハオ」を無視したら、それは単に挨拶を無視したことになる。「ニーハオ」と声をかけられたら取るべき対応は、私の友人の様に、「ニーハオ」と挨拶を返し、私は日本人ですよ、と教えてあげることなような気がしてきた。紙コップにお金を入れるかはまた別の問題として。